1924年、静岡を中心に資材販売の総合商社として創業したチキリは
おかげさまで100年の節目を迎えることが出来ました。
これもひとえに、お客様・パートナー様・地域の皆さまの支えのおかげです。
現場で働くみなさまの縁の下の力持ちとして、いつでも頼っていただける存在でありたいと思っています。
古き良きものを大切にしながら、新しい潮流に敏感に対応し、時代に即したサービスと商品を提供してまいります。
100歳を迎えパワーアップした「チキリ」にご期待ください!
大正13年 船具屋からのスタート
1924年 パリオリンピック開催に世界が湧く
チキリは、ここ静岡県沼津市で大正13年(1924年)に創業しました。『チキリ商店』の誕生です。(「チキリ」の由来については会社概要をご覧ください)
そもそも創業者である私の祖父は、以前は沼津港で魚の卸を営んでいました。「チキリ」というちょっと変わった名前はその当時の屋号です。
そこから、伊豆半島の漁師さんや造船所、船を持っているお客様へ船具や船舶関係の資材販売を始めたのが当社の起こりです。
この年は、昭和天皇のご成婚や、パリオリンピックの開催と、お祝い、お祭りムード。
創業者の服部義雄も希望に胸を膨らませてスタートしたと思います。
昭和7年には『合資会社チキリ船具店』を設立、内務省・陸軍省並びに海軍省の指定商となります。
その後徐々に海から陸に上がり、海で取り扱ってきた塗料やワイヤー等の商材を、陸上の製造業・建設業のお客様にも展開していきました。
昭和20年 戦火からの復興
1945年 終戦を迎え歴史の転換点となる
しかし、戦火ですべて焼け、再出発を余儀なくされました。
幸い、芝浦機械(旧東芝機械、更に当時は芝浦機械製作所)様、ヤマハ(旧昌和製作所)様など、静岡県東部の当時は創業間もない現在の大手企業様や、山梨などの索道(山中へ資材搬入の為に設置する物搬用ロープウエイ設備)業者様等とお取引をいただく事により、日本の戦後復興の中なんとか会社を立て直す事が出来ました。
昭和37年 また新たな一歩を!
1962年 ビートルズがデビュー
いわゆる高度経済成長の中、1962年に【チキリ商事株式会社】として改組されました。
昭和30年に東洋製綱株式会社(現:東京製綱株式会社)、日本油脂株式会社の塗料部門の代理店となり、ワイヤーロープ・塗料についても販路を開拓、チキリ商事となってこれまでの船具部門を支店として沼津市千本港町に置きます。
東名高速道路建設に伴い、中央分離帯に敷設されたガードケーブル(東京製綱製)を御殿場から掛川までの区間を納入する等大型事業への製品提供など、商社としての規模も拡げていきました。
昭和43年 事業の拡大
1968年 東名高速道路開通 そして日本列島改造論
東京製綱から、法面の落石防止商品の静岡県での販売を任されました。
この落石防止商品は、折からの田中角栄首相の政策「日本列島改造論」による公共投資増にも後押しされ、県下で50%を超えるシェアを占め、ここからモノを売るだけでなく落石防止工事等、土木事業へ参入しました。
落石防止商品を扱ったことで、公害防止、安全対策、省資源、より地域・社会の安全性に貢献できるビジネスに関わっていきます。
中興の祖である二代目服部純茲は、事業拡大だけでなく社員育成にも取り組みました。
メーカー主催の研修参加により新製品、新技術の知識を高めるとともに、人間性をより豊かに高めていくマンパワー投資を行いました。
いまでこそ多様性と言われますが、当時から時代のニーズを捉え、それに沿っていける人材育成をしていたのが、今日に繋がっているのだと思います。
昭和52年 試行錯誤の時代
1977年 ボイジャー宇宙へ
今でも160億キロ離れた宇宙から、データを送り続けてきているボイジャー1号2号。
そんなチャレンジングな年に、私たちも様々な試行錯誤をしていきます。
このころ塗料を扱っていたことでお得意様からの依頼を受け、塗装工事から建築事業に参入。
そして今は撤退しましたが、お客様からのご要望でハーネス(車の電線)を組む仕事を受け「服部製作所」という工場を作ったこともありましたし、養殖用の網が汚れて中の魚が死んでしまわない様に薬品をコーティングする事業も最近まで行って参りました。
本当にこの頃は、試行錯誤をしながら新たな商材やビジネスを模索していました。
そのおかげで、次にバトンをつなげるためのチャレンジ精神は、今も変わらずチキリの中で息づいています。
社員たちが日々勉強し様々な仕事に挑戦し続けてくれたおかげで、取り扱い商材も増え、それに伴いお客様からも信頼をいただき、単なる御用聞きの物売りではなく、建設工事や製造設備工事等、お客様の抱える課題解決提案と、今でいうソリューション型の商社として成長を続けました。
昭和62年 新たな時代に社名も変更
1987年 携帯電話サービス開始
今ではケイタイが無いなんて考えられませんが、当時発売されたものは900グラム、なんと約1キロ近いものでした。
チキリ商事は商社機能も残しつつ工事業等へも拡大、実態と乖離してきたこともあり、又今後のチャレンジも考えて「商事」を取り「株式会社チキリ」としました。
この時期から前後しますが、ここまで様々な試行錯誤をしてきたおかげで、素材加工から仕上げ塗装までの、加工油・洗浄剤、塗料について一気通貫でご提案できるようにもなりました。
平成2年 建築工事の礎ができた時代
1990年 時代は平成へ
この頃、社長就任前の3代目 服部隆輔が銀行のATMブースの製造を手掛けます。
銀行店舗のリニューアル工事の実績から、ATMブースの製造・設置も手掛けるようになりました。
当時、ATMブース製造のライバルがIBMだったことは、今では逸話となっています。
とはいえ、このブースはATMがコンビニの中に設置されることによりあっという間になくなってしまいました。
この後の平成4年に、3代目 服部隆輔が社長に就任し、現在のチキリにつながる建築工事事業を拡大していきます。
平成25年 ECサイトの立ち上げ
2013年 アベノミクススタート
2020年開催のオリンピックが東京に決まったこの年、チキリもまた新たな事業を立ち上げます。
それが吊具専門のネット通販「道具屋.com」。
これまで商社として培ってきたノウハウや商材を、インターネットを通してお客様にご提供する、というチャレンジです。
パートナー企業の応援を受け、社内スタッフも日々勉強しながらインターネットで「売る」ということはどういうことなのかを学んでいきました。
4代目である服部厳一郎の背中を押したのは、これまで培ってきたチキリの「チャレンジ精神」他ありません。
令和2年 過去の挑戦が支えに
2020年 新型コロナウイルスによるパンデミックとの闘い
コロナ禍に見舞われたのは、ECサイトがスタートして約6年が経過したころでした。
幸い、時代の波に乗り着実に成長を遂げていたECの業績が頼りになり、そのおかげでコロナ禍を乗り越えることができました。
振返ると、創業時の船具商に安住していたら、今の当社はなかったと思います。
時流に乗り、色々なことに挑戦し、もちろんダメだったものもある、成功したものもある、成功したけどやめたものもある。その積み重ねで今があるのだと思います。
私は昔から「選択と集中」という言葉を否定してきました。なぜなら、商品にはライフサイクルがあり、一つのことにだけ集中していれば、どこかで行き詰まると思うからです。
令和6年 次の100年に向けて
2024年 次の世代にチキリマインドをつなぐ
現在、私たちは静岡県東部の企業および個人のお客様からの支持を受け、事業を展開しています。
塗料、切削剤、洗浄剤、吊具を中心に機械工具のなどの幅広い商品を販売する商社機能を備え、同時に販売先のお客様の建物などの資産をメンテナンスする建設の機能も有しており、ONE STOPでお客様の課題に対応できる体制が当社の強みとなっています。
今後も中途半端な選択と集中はせず専門性を持った何本かの柱を持ち、時には時流に乗り変化をしつつ事業範囲を少しずつ広げ、一歩一歩確実に成長して行く企業であり、働く社員は自分の仕事に対してやりがいや充実感を持ち、個人としてもより良い人生を手に入れられる様なそんな会社になりたいと思っています。
また、2004年からISO14001の認証を受けており、当社が営業活動をすることにより、電気エネルギーの削減、CO2排出量の削減、化学物質の使用量の削減など、SDGsへの貢献につながる様になればと活動しています。
今後も私たちは、地域社会の安全性に寄与するビジネスを継続していく所存です。