千里の馬は常に有れども伯楽は常にはあらず。
「千里の馬は常に有れども伯楽は常にはあらず」と言う本が有ります。
著者は韓愈(かんゆ)・雑説(ざつせつ)・四首・其四です。
最近、私は韓愈の雑説の本を読んでいます。
この本を読んで、人と人の奥深さを知りましたので、その中一部内容を紹介いたします。
【内容】
世間に馬の良し悪(あ)しをよく見抜く人がいてこそ、千里も走る名馬というものがありうるのである。名馬はいつでもいるけれど、それを見抜く人はいつもいるとは限らない。だから、たとえ名馬がいたとしても、見抜く人がいなければ、ただ下働きの者にこき使われ、飼い葉桶(おけ)の間に首を並べて死んでしまって、千里も走る名馬とはいわれないままで終わってしまう。(名馬に十分食べさせなければ、並の馬と同じになってしまうし、並の馬と同じように鞭(むち)打ったり、食事させたりして、名馬を理解しないで、世の中には良い馬はいないなどと言っている。)ああ、世の中にはほんとうに名馬がいないのか、それとも世の人が名馬を見分けられないのか。
【意味】
いかに才能のある者も、それを認めてくれる人がいなければ、力を発揮できない。「千里の馬」は、一日に千里も走ることのできる名馬。「伯楽(はくらく)」は、もともと星の名で、天上で馬の世話をするのが役目であったというが、転じて馬の素養を見分ける人をいうようになった。
【まとめ】
自分に合う仕事を見つかれば、どんな苦しくても、最大限頑張る。
営業部 周凱翔